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アンパンマンの遺書

ありかた

もうすぐ2歳をむかえる孫はアンパンマンが大好き。いつもアンパンマンを描いています。
「認識できる言葉」として最初にしゃべった言葉は「あんまんまん(アンパンマン)」でした。ちなみにばいきんまんのことは「ばいちったん」と言います。

そんな愛すべきアンパンマンをこの世におくりだした、やなせたかしさんの自伝的な書です。

出征していたやなせさんは、27歳で終戦を迎えます。
「正義のための戦いなんてどこにもない。正義は或る日突然逆転する」と骨身に徹して知り、「逆転しない正義とは献身と愛」この思いが思想の原点となり、のちのアンパンマンにつながっていきます。

新聞記者、漫画家やデザイナーとして身を立てながらも、無名時代が長く続き、歌手に持ち歌があるように、誰でも知っている人気キャラクターを持たなければこの世界では通用しないと、成功していく仲間を横目に焦ったり迷ったりする様子が描かれています。40歳を超えても方向性が全く分からず、挫折どころか出発さえしていなかったと。

最初の子ども向け「あんぱんまん」を発表したのは1973年(昭和48年)、『それいけ!アンパンマン』のテレビ放送が始まるのは、それから15年もあとのことです。
1988(昭和63年)10月、ようやく始まった『それいけ!アンパンマン』のテレビ放送は、何をやっても視聴率2%しかとれない月曜日の17時から、関東4局2クール(半年)の予定でのスタートでした。しかし、いきなり視聴率7%、時には10%を越える人気番組となり、全国放送へと広がっていきます。
実はその時、やなせさんはすでに69歳、老人手帳を支給され年金を受給されていました。

1993年(平成5年)に奥様を亡くされ、その時のことを、「この後、何をするべきか、何を目標に生きるべきか。何をして生きるべきか自分に問いかける時が来た」と書かれています。

子どもだましの甘さを嫌い、
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
わからないままおわる
そんなのはいやだ!
と、生きることを高らかに歌い上げたアンパンマンのマーチ、それは自分自身のテーマソングでもあったようです。
94歳で亡くなるまで、どんな時も目の前のことに懸命に取り組み、自身に問い続けながら生きた姿は、一見して決して格好いいとはいいがたいけれど、人間味が感じられます。

本当の正義というものは、決して格好いいものではないし、そして、そのために必ず自分も深く傷つくものです。顔を失ったアンパンマンは、エネルギーを失って失速しますが、それが描きたかった。アンパンマンと出会えたのは神様のお恵みだと。

なんのために生まれて
なにをして生きるのか。
69歳から大きく変化したやなせさんの人生、アンパンマンのマーチが背中を押してくれます。

○月○日、やなせたかし死す。
全財産はアンパンマンに贈る。
と締められる最後。

アンパンマンは、やなせさんの子どもであり、
すべての子どもたちもまた、やなせさんにとってアンパンマンだったのかもしれません。


★おまけ
私にとって、やなせたかしさんといえば「詩とメルヘン」。中学から高校生の頃、お小遣いで買って大事に大事に読みました。そのおかげではないけれど、高校生の時、旺文社の詩のコンクールに応募して賞をいただき、副賞として学校に美術全集、私はステレオをもらいました^^。

孫が描いたアンパンマン

アンパンマンの遺書

やなせたかし
出版岩波書店
初版2013年12月17日