やってみたら答えは出る




大切なMちゃんへ。

誰に何を言われたのか知らないけど、Mちゃんがやりたいかどうか、誰の役に立ちたいかどうかじゃないの?

誰かに意見されたとしても、諦めきれないことがやりたいことで、できそうか、できそうにないかを考えているうちは、それはやりたいことではないんだと思う。

そりゃ仕事だもの、お金をいただくんだからしんどいのはあたりまえ。
だけど、今、力が足りないなら力をつけるだけ、それをしんどいと思うかチャンスと思えるか。自分を信じられないなら自分を試してみればいい。変わるのが怖いなら怖いって認めちゃえばいい。

自分を受け入れてハードルを少し下げてみるのもありだよ。
例えば、お金のことは置いといて「こんなことで困ってたら、力になるよ」からはじめて、先に価値を提供する。そうしたらなんらかの糸口が見つかる。

やってみて、うまくいかなくったって、時間がかかったって、他人には関係ないわけだし。自分が納得できてればそれでいいんじゃないの?
やりたいか、やりたくないを考えても答えは出ない、だけどやってみたらきっと答えはでる。あ、違うって思ったらやめればいいだけ。

周りからすごいって思われるより、挑戦してる自分をすごいって思いたくない?
私は、そういうMちゃんかっこいいと思うよ。

小学校3年の時、父に「周りが色々言うのは他人の証拠、だから耳を貸さなくていい、聞いても知らんふりしとけ、自分が幸せだったらそれでいい」って言われたことがある。母が死んだ後、父が私を連れて再婚したことをよく思わない人が言ったことに対してだけど。私はこの言葉今でも忘れない。その通りだと思ってる。

そ、いらん世話!
心から応援してる!!



受け入れるということ




20年以上になる。

若い頃から白髪が多く、おそらく遺伝だろうから仕方ないとあきらめ髪を染め続けてきた。
初めの頃はマニキュアだったけど、それでは追いつかなくなりほどなく毛染めに変わった。
間隔が月1回になってからすでに15年以上、ここ2年ほどは1ヶ月も持たなくなっていた。

染めてすぐは気分良く過ごせるけど、10日も過ぎたら生え際にでてくる白髪が気になりはじめ、2週間経つともうだめ。
鏡を見るのも嫌、髪型を整えたって所詮白髪が見えると思うと、おしゃれする気にもなれない。

そう、ずっとずっとそんな日々を過ごしてきた。

私の実家は美容室で母と姉が美容師、ここ数年は髪を切るのも染めるのも姉にお願いしている。

髪を染めるのをやめれば、出てくる白髪を気にしなくてすむ。それの方が気分良く毎日を過ごせるのではないかと、2、3年前から思うようになった。

だけど、難関は母と姉だ。

仕事をしているのだから、身だしなみとして染めた方がいい
染めたほうが、溌剌として見える
一気に老けるよ
仕事してる間は頑張ったら?

などと反対されるに決まっている。
たとえ染めなくても月に1回は髪を切ってもらうから、その都度、説教や説得されるのはしんどい。

私自身、周りの人に加嶋さんどうしたの?と聞かれるのは面倒だという思いや、老けて見られるのは嫌だという思い、染めた部分が完全になくなるまで中途半端な状態に耐えられるのかなどの葛藤もあり、言い出せず踏み切れずにいた。

悶々と過ぎていく時間。

そして昨年12月27日、実家の美容室の鏡の前に座った私は、ついに「髪を染めるのをやめようと思う」と姉に言った。

「えっ? 本当に? でも、まあいいんじゃないの」

………………。
ちょっと拍子抜け 笑

そして姉は続けた。

「私もできることなら、染めるのをやめたい、染めるていると髪がごわごわするし、白髪がちょっとでも出ると気になるし、でも美容師という職業柄そうはいかんしなー。髪を染めるのをやめるなら、その分、髪の手入れをして整えて、化粧をバシッとして、シャキッとおしゃれせんと!」

受け入れてもらえたことが、ただうれしかった。
心が軽くなった。

それから、中途半端な状態の間は帽子を帽子を被って過ごしたが、それも面倒になって3月末頃にはそれもやめた。染めるのをやめて半年、ほぼほぼ染めた部分がなくなりつつある。
あとちょっと。

わかったことは、
母と姉に受け入れてほしかったわけではなく、私が私を受け入れたかっただけだということ。

最近、久しぶりに会う人の「?」という反応が楽しい。
もうひとつ意外な産物は、寝癖がつきにくくなったこと!




78歳のプライド




78歳になる母は、目が悪い。
子どもの頃の栄養失調が原因だと聞いている。

美容師の母は、可愛らしく身ぎれいにしていて、学校の行事などで母と一緒の時は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
今でも、出かける時は身だしなみを整えおしゃれをする。
先日、同窓会の写真を見せてもらったが、断トツで若い。一人だけ年の離れた人が紛れ込んでいるようだ。

そんな母だが、視野狭窄が進み、家の中でもぶつかったり、外に一人で出るのは危なっかしい。かなり大きなテレビでドラマをみていても男女の区別くらいしかできないと言うから、相当悪いのだと思う。

母は、20年近く大正琴をしている。
高齢者施設などに慰問に行くと、入所している高齢の女性が娘のように接してくるのだと言うからおもしろい。

しかし、母は、大正琴の楽譜が見えない。
みんながみている楽譜を拡大コピーしても、それでもみえず苦労して楽譜をよんでいる。そんな母は、人前で大正琴を演奏する時は楽譜を持っていかない。
全て頭の中に叩き込み、楽譜をみなくても大丈夫なまで必死で練習をする。

目が見えないことが悪いことでも恥ずかしいことでもないけれど、母は美しくありたいのだと思う。

プライド。

しゃんと背筋を伸ばし、誰かに手を繋いでもらいながらも堂々としている。
そして、私の顔を見るたびに、髪型がどうの、アイブロウの色はチャコールグレーに変えたほうがいいだの、口紅はもっと濃いものがいいとアドバイスをくれる。

いつになっても、プライドを持って生きている母を尊敬して止まない。

※写真は、45歳ごろの母と私の長男




別の世界を生きる




ふとしたことがきっかけで、
心がざわつくことある。

胸の奥深くにしまいこんで、忘れたふりをしていることが呼び覚まされ、
あの時の感情が胸に戻ってきて複雑な気持ちになる。

なぜ?

単に嫌なことを思い出してしまった、というのではなく、
今を生きていない自分に気づいてしまうから。

日々、新しい自分を生きているなら、
今のことに夢中で、
新しい世界が広がっているなら、
今、目の前にいる人と喜びを生み出していくことが楽しくて、
それどころじゃないはず。

忘れたふりなんて必要ない。
いくら私が「あの時」にとどまって心がざわついていたとしても、
相手はそんなこと気にしちゃいない。
きっと、すっかり忘れて新しい日々を、世界を生きている。

許すとか、忘れるとかじゃなく、
別の世界を生きる。
ただそれだけのこと。

自分で選べるんだよ、世界は。




根っこる



だれにも「ならでは」の根っこがあり、おのずと伸びる幹、枝、葉、花があります。
「根っこ」のちがいは、「いのち」のちがい。
それを愛しみながら生きることを「根っこる」と名づけました。
「わたしを生きたいあなたへ」のことづてを綴っています。