スーザと マリアおばさんは、オリーブばたけに かこまれた ちいさな むらに すんでいます。
まいあさ ねぼすけの スーザは、ちょっとやそっとでは めを さましません。
ねこのベルダが はなを こちょこちょ くすぐっても、いぬの ホセが もうふを ひっぱっても だめ。
マリアおばさんが フライパンを 10かいたたいて やっと めを あけるのです。
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どの話も上記のフレーズから始まる、ねぼすけスーザシリーズは7作。
・ねぼすけスーザのおかいもの
・ねぼすけスーザとやぎのダリア
・ねぼすけスーザとあかいトマト
・ねぼすけスーザのセーター
・ねぼすけスーザのオリーブつみ
・ねぼすけスーザのはるまつり
・ねぼすけスーザのきいろいリボン
ものがたりの舞台はスペインの「どこか」の田舎町。
ねぼすけのスーザの毎日はいつも特別です。
決して裕福な暮らしではない日々の中で、スーザはいつも“いいこと”を思いつき、すぐにやってみます。それはそれはうきうきと軽やかに。
スーザの“いいこと”の先には、いつも大切な人たちの笑顔があります。
第1作「ねぼすけスーザのおかいもの」で、おばさんの誕生日のお祝いをさがしに、ロバのサンチェスに乗って丘を5つ越えて町へ出かけたスーザ。
「これだわ!」と思うものに出会いますが、お金が足りず買うことができません。深いため息がこぼれます。
それでも、手に入れることのできるものと自分にできる精一杯の「いいこと」を思いつき、形にします。おばさんに抱きしめられてほおずりを受けるスーザのうれしそうな顔といったら。
家族のように暮らす村の人々の、手を貸し合い、ものを貸し合い、恵みを分け合う姿は温もりに溢れています。
現実の世の中では、人間みんなが仲良くとはいきません。
でも、この村の人たちは、きっと「同じ痛み」を共有しているのだと思います。だから、今、そばにいる人を大切にし喜びを分かちあうことの尊さを知っているのでしょう。
そしてもうひとつ。
スーザはまだ子どもです。しかし、暮らしや地域のなかで役割を担う当たり前の姿が、ひとりの人間として描かれています。
ある時は、村の人たちのおつかいで町まで買い物に出かけ、おばさんの育てたトマトを荷車で町の市場まで運び、ヤギに草を食べさせに連れて行き、お父さんを迎えにいく小さな男の子に寄り添い、オリーブの実の収穫を手伝うスーザ。
現代は、子どもたちのそんな当たり前の機会を奪っているのかもしれませんね。
7作目の『ねぼすけスーザのきいろいリボン』では、なぜスーザが両親ではなくマリアおばさんと暮らしているのか、理由が少しだけ明らかになり切なくなります。
それぞれの物語でスーザが思いつく「いいこと」を見ていると、私もそうありたいなっていつも思います。
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月刊誌「こどものとも」の50周年記念ブログに、作者の広野多珂子さんのインタビュー、『ねぼすけスーザのおかいもの』が生まれた日」が掲載されています。
ねぼすけスーザシリーズはこちら
★おまけ
第1作目の「ねぼすけスーザのおかいもの」を手にしたのは、1991年2月(多分)こどものとも419号でした。
長男が5歳、長女はまだ生まれていませんでした。
30数年私の手元にあって、息子、娘が夢中になり、今(2024年の秋)長女の小学1年生と4歳の娘たちのお気に入りです。土曜日になると交代で我が家へ泊まりにやってきて、寝る前に毎回20冊ほどの絵本を読むのですが、この半年ほどは、毎回スーザの本が数冊入っています。
年月が経っても、大人、子ども問わず心に響く絵本は、本当にすごい力を持っていると感じます。
絵を見て耳で聞いて、一人ひとりの心の中に物語の世界が生まれ、一緒にハラハラしたり、嬉しくなったり、悲しくなったり、怒ったり。世界が広がっていけばいいな。
著 | 広野多珂子 |
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絵 | 広野多珂子 |
出版 | 福音館書店 |
初版 | 1997年2月5日 |